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美容整心メンタルこころの研究室

美容整心精神医学Cosmetic Orthopsychiatryの概念

整心精神医学のなかでも、「外観、特にその美へのこだわり」が強く、社会機能を損ねている(社会生活がスムースに送れない)が、精神障害(症)に該当しない人に、どのように対処して外観のこだわりと社会機能の両立を図るかを、精神医学と形成美容外科学の両者が連携してアプローチする医学を「美容整心精神医学Cosmetic Orthopsychiatry:COP」として提案したいと思います。

美容整心精神医学は、学問的には、文字通り、外観、美容が整心(心の安定性、向上性)に及ぼす影響、あるいは整心が外観、美容に及ぼす影響を研究する新しい学問分野とし、外観の障害、あるいは外観の美の拘りのために社会機能が低下、障害されている人を対象とするものとします。

外観の障害の心理は、精神分析学的に考察すると、いわゆる「対象喪失」の概念で考えると理解しやすく、また、「外観や美へのこだわり」の心理は自己愛あるいはリビドー(性的な欲望、性本能)の一つの心理形態として理解すると、形成外科、美容医療における患者心理を理解しやすいと思います。

本来普通にあるべき外観の状態が生来的に得られていないという場合(先天性変形)や、

外傷や病気により外観に障害を残した場合(後天性変形)、

あるいは加齢によって若い時にあった美しい容貌を失っていくというような場合(老人性変形)の喪失体験は、「対象喪失」の中の「身体的自己の喪失」に相当するであろうと思います。

対象喪失体験は、失った対象に対する思慕の情、悔やみ、恨み、自責、仇討の心理を始め、愛憎のアンビバレンツを再体験する悲哀の心理過程(フロイトの言う「悲哀の仕事」)を経て初めて自我は新しい自由を見つけ、心の平安を獲得して行きます。

外観障害は上記のそれぞれの場合で成立過程も異なるから、悲哀の心理過程も異なるが、いずれにしろ美容整心精神医学は、悲哀の仕事に良き伴侶となってかかわり、そのプロセスが滞りなく完結し、心の平安を得て社会復帰が出来るよう手助けをするのを目的とします。

先天的な外観障害では、思春期、青年期になって、自我意識が目覚めるにつれてハンディキャップのある自分に気付き、それらを克服して社会に適応しなければならない人生が始まる。劣等感コンプレックスとその補償の自我心理機制が生じ、また、喪失の悲しみ、恨み,他者を責める気持ちなど対象喪失の悲哀の仕事とのかかわり合いの中で、その人の人間的成長が決まってくる。

この場合は、対象喪失を成長の過程で徐々に認識しているので、急性的な情緒危機はもたらさないが、喪失していない,健常な外観の体験を持たないので、理想化した喪失対象を描きやすく、形成外科手術に満足しにくい心理傾向がある。

また「恨みと報復」の心理を背景に、相手不詳の報復の原理に支配されており、悲哀の仕事の中で、大きな援助者として期待された形成外科医は、手術の結果で満足させられないと、失望から報復の対象にさせられる場合が少なくない。

外傷や病気による後天的な外観の喪失は、多くは自我意識の成長後に突然生じることが多いので、絶望的な急性情緒危機として「悲嘆grief」を経験する。

時間を経て悲哀の仕事に入るが、悲哀の心理過程は乳児のように「抗議と不安」「絶望と悲嘆」「離脱」の原初的な経過を取り、その苦痛は大きい。

しかし、苦痛に対する躁的防衛で、勉学や仕事に集中して社会的に成功し、自我の昇華を果たすこともある。

対象喪失以前の状態を知っている為、喪失の理想化は少なく、形成外科手術の結果を受け入れやすい傾向がある。

美容医療が対象とする「加齢による対象(若さ、美貌)喪失」では、まず、失うのではないかという喪失予期の時期があり、やがて失っても、対象への執着が続き、物的現実性と心的現実性が乖離し、心の中では喪失を受け入れないプロセスが続く。次いで現実を受け入れる「対象を失った部分given up-part」と、すぐには現実を受け入れられない「対象を失っていく部分giving up-part」の二つの心理が交錯する状態になるが、やがて「断念と受容」の心境に達し、悲哀の仕事は完結されます。

一方、一般の美容医療を受診する患者(以後、美容患者)の心理は、私は自己愛とリビドーの理論で説明出来ると考えています。

自己愛とは、自分を愛する、大事にする,可愛いと思うような自然な人間の心理であり、リビドー(ある種のエネルギー、ここでは愛のエネルギー)が全部自分に向かってしまっていて、他の対象には向かわない状態とされ、自己以外を愛する対象愛は成立しないとフロイトは定義しました。しかし、コフートは自己愛と対象愛は両立するとの理論を述べ、フロイトも後期になると、自己愛においても一部のナルシシズム型の対象にはリビドーは向かうことが出来るとし、それは①自分の気持ちをシンボライズしたようなもの、②自分を象徴して表しているようなもの、③こうなりたいと思うような自分であり、これらには自己愛が強くともリビドーは向かうものとしました。

この自己愛の対象選択の心理は、‘誰だれのタレントのようになりたい’と言う美容患者の心理に良く相関しているように思われます。

また、自己愛は、コフート理論では、誇大自己(自分をどんどん偉く発達させよう、立派に美しくさせようと思う自己愛)とイマーゴ(理想化した親のイメージ)で説明され、いずれを相手に認めてもらい、賞賛を受けたい気持ちの表れであるとされます。従って、褒める相手が必ず必要であり、褒められて誇大自己を満たすことが、自信を持ってさらに成長しようとする健全な自己を成長させることにつながるとしています。もし、満たされないと、「自分だけが偉い、とか美人だ。」と思い上がったりして、いびつな自己イメージが肥大化してしまい、周りから相手にされない人間に育ってしまうといいます。

エリクソンのよれば、自分をブラッシュアップして伸ばそうとする健全な自己愛が人間には本来的にあるとしており、健全な自己愛は人間成長の動機づけとして重要であると言っています。

リビド―とは、フロイトの構造論の自我、エス、超自我の中のエスの一つで、自分が知らない世界にある(生得的な)本能のようなものの内で、性本能、エロス、愛の欲求として表現されるものをいいます。言いかえれば、もてたい、もててセックスをしたいという欲望、つまり、究極には種の保存本能に行きつくものになります。

美容受診患者の心理にはこのような本能的な目的性を持つ要素もあるのではないかというのが私の意見です。

受診動機に自己愛よりリビドー的な要素が大きいと、執着も強く、劇的な変化を求める傾向があり、結果への満足度も低く、関心の方向転換も難しく、治療が中断しやすいのではないかと推察します。

従ってこのような患者では、悲哀の仕事が頓挫して、リビドーの代わりにアグレッション(攻撃性)が前面に出てきたり、神経症的、抑うつ的な精神状態となり問題を残してしまうことが少なくないのではないかと思われます。

また美容患者には、精神的に病的な動機を持つ患者も受診するから注意が必要です。

こだわりが、身体の一部(鼻とか眼)に集中している場合は自体愛(自己愛の原初形態)の可能性があり、その場合は自我発達が未成熟で、いわゆるレベルが低く意思疎通が取れず何かと理解が得られない可能性があります。

リビドーが常に自分に向かいっぱなしで、自分のファンタジーの世界に入り込んでしまっている自己愛神経症的な症状を示す場合は、自己愛パーソナリティ障害、統合失調症の可能性があるので注意がいります。

もっとも多い疾患として身体醜形障害(症)・醜形恐怖がありますが、米国での、この罹病率は形成外科、皮膚科の患者においては10%に登るといいます。従って美容患者においては、もっと高率に存在するのではないかと推定できます。

身体醜形障害(症)の診断基準はDSMⅣ(米国精神疾患の分類と診断の手引き)によれば、1)身体のある部分に、想像上のものか、あるいはあってもほんの些細な症状に極めて過剰にとらわれてしまう。2)そのことで生活機能に障害が生じる。3)他の疾患では症状の説明が出来ないもの、となっています。

 

Agingにおける「喪の仕事」、自己の成長における「自己愛を満たす過程」においては、美容医療は有効な手段となりうるが、両刃の剣であることの認識は重要であり、また、患者が病的な要素を持っている場合は、病状を進展させてしまうことになりかねないので美容整心精神医学との連携が望ましいと考えます。

心身の健康さは美しさの基盤であることに誰も異論のないところと思います。

恋をしている女性は輝いて美しいし、ストレスを抱えて抑うつ的な人は美しさを損ないます。

美しさを単に生物学的な視点から見るのではなく、心理的な側面から見るのも意味があると考えます。それはよく言われる観念論ではなく、美しさの認識(自覚)は、心理的要素が強く、逆に言えば心理的サポートは外観にかかわる形成外科、美容医療の治療効果を上げる意味でも有用と考えるからです。

美容整心精神医学は、形成外科、美容医療の持つポジティブな要素を、どのように生かし精神的、社会的な生活に役立てるかを、精神分析学的、精神免疫学的、心理社会学的に研究するものでもあります。

さらに美容整心精神医学の「美容」の意味するところは、外観美容の他に、現在のこころの健康状態をさらに高め、向上的で洗練された、幸福感の強いライフスタイルの獲得を目指す意味合いも含んでいます。(super healthy and beautiful life )

従って美容整心精神医学の定義としては、

『外観、美容が整心(心の安定、向上性)に及ぼす影響、整心が外観、美容に及ぼす影響を精神分析学的、精神神経免疫学的、心理社会学的に研究することで、美容医療の医学的に正しい運用を促進し、心理面から美容医療の有効性を高め、かつ現在のこころの健康状態をさらに高め、向上的で洗練された、幸福感の強いライフスタイルの獲得を目指す。

臨床的には、「外観、特にその美へのこだわり」で社会機能を損ねている(うまく社会生活が送れない)人や霊性領域(生きる意味、価値などの生の根源に関わる、精神の上部構造)の不調和によって『生活に躓いている』人に対して、精神医学と形成美容医学が連携して、精神的、霊的に健康な社会生活への復帰を目指す医学。』となろ雨過と思います。

外観、つまり顔、ボディイメージに悩む精神障害は身体醜形障害(症)、強迫性障害、不安障害、抑うつ性障害、双極性障害、統合失調症スぺクトラム、パーソナリティ障害等多岐にわたるが、美容整心精神医学COPでは明白に精神障害に分類されるものは基本的には含まず、かといって精神、心が全くの正常、健康とは言えない境界領域(生活に何らかの障害が生じている)を扱います。

精神波のリズム振動が、正調ではないが、不可逆的なほど、大きくは失調していない状態を想定しています。

美容医療は、健全な自己愛を成長させる方向に持っていければ、人間成長(道徳心のある、不安に強く安定性があり、向上性のある)において重要な役割を果たし得るし、強迫的な外観のこだわりに苦しむ脳のリセットの機会にもなれば、身体醜形障害(症)の治療にも適応されうる可能性があります。

美容医療の持つポジティブな面の評価が低く、逆にネガティブな面が強調される理由は、一つは人間心理より美容医療が与えている社会心理が優先されていることにあろうかと思われ、美容医療提供側にもその問題性を意識する必要があるものと思っています。

美しさを単に生物学的な視点から見るのではなく、心理的な側面から見るのも意味があると考え、それはよく言われる観念論ではなく、美しさの認識(自覚)は、心理的要素が強いが故に、逆に心理的サポートは外観にかかわる形成、美容医療の治療効果に直接的にかかわってくると考えます。

美容整心精神医学は、形成、美容医療の持つポジティブな要素を、どのように生かし精神的、社会的な生活に役立てるかを、精神免疫学的、心理社会学的に研究するものでもあり、

さらに「美容」の意味するところは、外観美容の他に、現在のこころの健康状態をさらに高め、向上的で洗練された、幸福感の強いライフスタイル(スーパーヘルス、ビューティフルライフ)の獲得を目指すことも含まれ、また自我の霊性領域の失調による「生きる意味、生き甲斐の喪失」から来る「生きることの困難さ」の克服も対象にします。

以上の流れで「美容整心精神医学の概念」が出来るに当って、私は自ら、この概念を実践し、臨床としての有用性を問いたい思いに駆られ、美容整心(コスメチックオルソー)メンタルクリニックを創業することにしました。