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エリクソンのライフサイクル論②

 これまでに述べてきたように、人間の発達論は、フロイトの心理・性的発達論がかつての中心的なアイディアであり、精神の発達を性的衝動の発展として捉えるものであったが、エリクソンは家族の人間関係を重視し、社会的、対人的な側面から発達を見直そうとし、人間は「身体、心理、社会的な存在」として捉えた。そして人間は、確かに3歳くらいまでの精神発達が、性格を決め、人生後半におきる様々な問題も、元を正せ子供は母親をとおしての父親イメージ像を作るので、ばこの幼児期の葛藤に還元される要素が高いことは認めるが、それだけではなく、生涯の各年齢に要求される社会的な課題が解決されず精神的問題が発生する場合も少なくない、とした。
 生涯全体を変化して行く主体の発達として捉えて行こうとしたのがエリクソンのライフサイクル論であり、生涯を8つの発達段階に分け、そのおのおのに必要な心理社会的な能力、自我の力を心理力動的な観点から捉えている。各段階における課題と、その対立的な課題を提示し、生きて行くためには、心の中で両者のバランスが必要であり、バランスを崩すと危機的状況に至り、その後の自我の発達に影響し障害を来すので、順番に漸成して行く必要があるとし、ライフサイクルの概念を報告した。(エリクソン「幼児期と社会」仁科弥生訳、1992、みすず書房)
前回では第一期の乳児期に基本的信頼が獲得されるのが非常に大切であることを述べた。今回はⅡ期、Ⅲ期を述べる。

エリクソン1

エリクソン1

Ⅱ.幼児期(2~4歳)「自律性(/恥、疑惑)」を身につける―愛されながら自信をはぐくむ
 2歳から4歳ころに乗り越えなければならない危機的な主題は「自律性」の獲得である。

自分を律すること、自らをコントロールすることである。
 例えば、躾というような、外からの圧力を受け入れ、自分の衝動を統制し自分のなかで折り合いをつけ、どう振る舞うか決めて行く枠組みを作ることが、自律性を築く中心的な仕事になる。
 自律性とは、外からの要求と自分の内からの要求とがバランスと取ることであるが、うまくいかないと、「うまくやれていない」という、外からの要求に応えられない恥の意識が生まれ、また「自分はいったいどうなっているのか?」と言った自分に対する疑惑を持つようになり、生きて行くことが苦痛になってくるという。
 自律性は、乳児期に自信が育っていないと獲得できない。そして自信は、乳児期に基本的信頼が獲得できていないと生まれないのである。基本的信頼は母親への愛着が必須で、母を信じ依存することで信頼感、安心感を得ることなしに、自分を信じ、人を信じるようにはなれないので、自律性は基本的信頼の延長上にあることになる。

つまり、自信のない子にセルフコントロール(例えば躾など)を教えること、つまり自律性を身に着けさせることは、乳児期に基本的信頼を獲得していないので極めて困難なことになるのである。

 幼児期は、「ボク スル」の一言から始まる。すべてを母親に頼り、親まかせにしていたものが、自分でやろうとする。母親の言う通りにしなくなる。ぐずったり、駄々をこねたり、口答えをしたり、憎まれ口をたたいたりする。
 これが、第一反抗期と呼ばれるものであり、3つ4つの憎まれ口は自律の為の行動化(acting out)とみられる。この時期の子供の行動は、母親をイライラさせたり、不安にさせたりするが、母親が行動化に伴う危険を見守り、母親自身の不安を乗り越えて育児に当ることが、子供の自律を達成させる鍵になる。この第一反抗期を示さず自律を済ませないと思春期の自立(親や世間や今までの自分自身への反抗である「第二反抗期」を通して自己を確立する)に際してアイデンディティの確立が困難となり、思春期に、不登校、家庭内暴力、リストカット、摂食障害等の問題行動を招くことになる。第一反抗期を思春期の第二反抗期に持越し一度にやらなければならないために問題が大きくなるのである。
 

 自律しようとすると、自分の判断が必要となる。親の判断と異なる判断をしなければならない。最初は判断というより、「母親はこうしろと言ったが、自分はこちらの方が面白そうだ」という衝動である。
 フロイトは衝動を抑える働きとして「超自我」の概念を仮定し、超自我は幼児期に形成され始めるとしている。超自我は社会的良心であり、社会的秩序であるが、まず家庭内の秩序をモデルとして生まれてくる。家庭内に秩序が無かったり、家庭内のモデルが社会の秩序と大きく食い違っていると子供の超自我は混乱を起こし、超自我形成が不全を起こす。  
 子供の超自我モデルの最初は父親であり、父親イメージは、「尊敬と畏怖」「寛容と厳格」の両方が必要だが、母親がこの二律背反的なものをバランスをとって、子供に伝えることで、子供は自分の衝動の統御と解放のバランスを学ぶことが出来る。
 従って父親の不在は、超自我形成におおきなひずみを残すことになる。
 また母親の不在は「母なるもの」の形成に大きな影響を与える場合が多い。 

 具体例を見ると、幼稚園では、協調出来ていい子であるが、家では駄々っ子で手のかかる子供が、基本的信頼を獲得し自律性を持っている子供に相当する。幼稚園でルールを守れない子は、自律性が得られていないのであり、それは、その前の段階で基本的信頼を感じる相手が持てなかったこと意味し、従って躾をするのは簡単なことではない。
躾とは子供に大人の文化を教えて行くことであり、言葉が理解できるようになる頃に、例えば、手ではなくスプーンで食べよう、おしっこはトイレでしようなどと教え、何をするか、しないかは、子供が考え、選べるようにするのが躾であり、自律性です。教えたら待つことで自律性は育っていく。

 また、サリヴァンによれば、人間は人との関係によって人間になる。他者があるから自己がある。他者の存在をしっかり実感し、他者を認めることが、その後の社会的人格を形成する基盤になると言い、自律とは他者と調和がとれることを意味し、そうすることで、対人関係を作ることが出来るようになる、としています。
 色んな研究によれば、いじめっ子は、親子関係に問題がある子に多いという結果が出ている。母親を信じることが出来、依存出来、親子で喜びや悲しみを共有できるコミュニケーションが取れれば、いじめっ子になる確率は低いとされる。

 また将来、不登校、家庭内暴力、リストカットなど問題行動や適応障害などの症状は、乳幼時期に基本的信頼と共感性と自律性が獲得できていない場合が多いとされている。

.児童期(4歳から7歳)「自主性(/罪悪感)」を育む―遊びのなかで挫折と成長を経験する
4歳から7歳ころ児童期のテーマは「自主性」「自発性」である。

「自発性」とは、自分の衝動のままに行動することではなく、外的・内的な力が統合できる能力(すなわち自律性)がついてから、自分の欲求を表現できるようになることを自発性という。
 すなわち外的・内的なバランスを保ちつつ、行動出来ている状態、自分が行動の中心になることを意味し、このような心の状態を「自主性」ともいう。
 自主性がうまく獲得されないと、行動が規範を冒し、はみ出た行動になり、「悪かった」「失敗した」「規範を冒した」という罪の意識(罪悪感)になるとしている。
「自発性、自主性」は、好奇心を持って自分から活動することで、積極性、主体性、目的性という側面も合わせ持っている。

 このように、この時期に、自分が心の中心であるという意識を持つことが,アイデンディティを形成する上での心の基礎になるとされている。

 エリクソンは児童期を遊戯期とも言い、探求心、実験的に活動する力、創造力、空想力,想像力は皆遊びのなかで育つとし、この時期に最も大事なことは「遊び」であるとしている。
 児童期の子供は、昨日出来なかったことを今日は出来るかな、と遊びのなかで実験的な発想を繰り返し目標に達成していき、限界を伸ばそう、広げようとし始める。
 この時期に遊んだ子は、将来努力することが出来るようになる。遊びのなかで壁にぶち当たり、それを乗り越える工夫をして可能性を広げた体験は、目標を設定し、努力出来る自主性、積極性、主体性に繋がっていくからである。
 ピアジェは「この時期に遊んでおかないと、将来優れた想像力のある仕事は出来にくい」としている。

 この時期にうまく遊べなかった子は、ニートになる傾向が強い。

「遊ぶのが仕事」というのは本当であるが、遊びが豊かに発展するのは次の学童期(小学校時代)であるが、このころから慣れ準備をしておくことが必要なのである。