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新年に漠然と考えたこと(その2)-山田廣成の「意思と対話原理論 について

 新年に漠然と考えたこと(その1)からの続きです。
山田廣成の思想は、要約すれば、対話原理という山田が導き出した自然観を方法論として量子力学を見直しており、そこでは量子論が電子は粒子でもあり波動でもあるとしているのは間違いであり、電子は粒子でしかない、電子は確かに波動性を示すが、それは電子が干渉するが故の現象であり、干渉することが本質であり、電子は粒子が実体であるとしている。

 電子はなぜ干渉するかといえば、それは電子に意志があるからだ、とするのが山田の主張の核心である。
 電子に意志があるとすれば、ボーアのコペンハーゲン解釈も波動の収縮などと奇妙な理屈をつけなくとも説明がつき解決でき、シュレディンガ―方程式も波動の経過を示すのではなく、単に状態を示す方程式となり、有名なシュレディンがーのネコの思考実験の問題も解決できるという。
 生物はダーウィンが言うような突然変異では進化しない。進化するのはそうあろうと、自らが選択する意志であり、万物には意志があり自ら決めるのだという。人間の意志は電子の意志の総体であり、地球の未来も地球を構成する万物の(人間も含む)の意思によって決まるという。
 山田による意志の定義は、「個体を統合する力を有する実体」「他者から己を識別する力を有する実体」「他者と対話し干渉する実体」であり、「干渉によって意志の変更が起き」,「発現する意思は確率統計現象に従う」ものと定義する。この定義で本来人文科学的な領域であった「意志」を物理学の公理に組み込め、物理学と社会学をつなぐ懸け橋にすることが出来る。これは人文科学の概念を物理学に導入して、物理学が解決できる範囲を拡大しようとする試みでもある。生命、非生命の境界が分離しがたくなっている今日、人間の生命とは何かを、本来非生命的な物質を扱う物理学的思考で考えてみることには意義はあると思う。

 電子に意志があるとする根拠は、その振る舞いが人間の振る舞いに酷似して居ることを山田は11の状況証拠をあげて明らかにしている。その類似性から人間に意志があるなら電子にも意思が無いと言う理由が無いとし、電子の意思にアプローチすることは人間の意思にアプローチすることであると言い切っている。主な類似点をあげると。
ⅰ)人間と電子は、多数で種として存在し、他者と共存し、お互いに居場所を決めている。ⅱ)両者は、閉じ込められると干渉する干渉性がある。電子は干渉縞を作り波動性が出てくる。ⅲ)両者とも振る舞いの予測は出来ない(不確定性原理)。ⅳ)行動は確率的であるⅴ)決定は統計理論に従う。ⅴ)均一に分布せず、局在する性質がある.などがある。
電子はパウルの排他原理によって、同一時刻に同一場所には存在できないことから、ある電子が居場所を変えると、他の電子は自分の居場所を代えて空間全体の調和をはかろうとする。つまり電子が干渉し合い自分の位置を互いに調整している。干渉を起こすということは、個体同士が会話して認識し合うことであり、電子は干渉し、対話が存在していることになる。対話が出来ることは意思の存在でもあり、また人間は無数の電子からできているから電子の性質を受け継いでいるはずであり、人間に意思があるということは電子にも意思があることhあ否定できないとする。

 意志がある→個性がある。→確率統計に従う→波動性がある→干渉する→対話ができる→意志がある。→対話が出来る→干渉する。→波動性がある。→確率統計に従う→個性がある→意思がある、のサイクルを対話原理とし、その中で電子の確率現象の実体は意志の存在である、と説明している。
 対話原理は、
古典物理学の考えでは、自然現象は数式化でき、変数を入れればすべての事は予想できるとする決定論である。還元論的唯物論で人の心も数式化でき、変数で人の気持ちも決まるとなると人の自由意思というものは存在しないことになる。

「心には自由意思がある」ということを前提とするならば、心は古典物理学では解明できないことになる。量子論が関係するという推論が成り立つ。
山田の意思論では、万物に意志があり、その意思の定義は独自性、識別性、干渉性、変容性と確率性であるから、干渉性で対話して意思が変わるとするので、意思は決定論では決められず、意思には自由があることになる。
世界(自然)は、物体(個体)と場からなり、個体には場が付随しており、場を介在して個体は対話する。対話が発生した場は干渉性が出現し、場の構造は波動方程式で記述されるが、本来は対話を表しており対話方程式と呼ばれる。対話で意思の統一が図れると共鳴であったりコヒーレントな状態になる。対話の結果、万物は流転する。
量子力学が導くところは、対話原理に従い、未来は人間の意思によって決まるとしている。対話原理の言葉を借りるならば、あらゆる個体が階層として存在し個体に個性と意思があり、互いに対話して未来を決めるという思想である。あるいは人間を含むすべての個体の相違で決まると言っている。又「存在」の意味は、他者によって決められている。個体は他者に映った己を見ることによって己を認識している。それは電子も人間も同じであり、神は私の存在に直接は関わっていないと考えるのが量子力学の思想である。万物は対話の結果流転している。

結論としては
存在は、個体が複数で存在し、個体間で対話があり,干渉があることで規定されている。電子も人間も宇宙に一個だけもいる状態は規定されず、存在の意味を失う。個体は他者に投影された己を見ることで存在を認識する。その存在は意味の存在であり実存である。

 他者を識別し、己を識別しなければ、個体ではない。干渉を起こさなければ意思を有する意味が無い。
 自分の存在を他者が認め、他者の存在を自分が認めた時に始めて自分が確立する。
 電子も人間も同じように他者により存在が規定される。
 山田の論旨が正確に伝わったか自信はないが、おおむねこのような論旨と理解した。
対話原理からは、あらゆる物体は科学的な論証で、共存する運命体であるとする量子力学の思想が生まれ、グローバルゼーションからローカリゼーションへ、量から質への思想の転換をすすめている。そして真の民主主義は、この新しい対話哲学でしか実現しないと主張している。

 対話原理が導くものは民主主義である。量子力学の波動関数によって個体の存在が規定された。「存在が他者により規定されることが明らかになり、他者を抹殺することは己を抹殺することである。すべての個体が平等であるという概念が量子力学により導き出された。そして、未来は、全ての個体の総意によって決まるという結論が出された。

 終わりに
 これからは、量子論的自然主義はすべての学問を統一する、明日は明るくなる。

 いささか楽観的だが、山田が自らアインシュタインを越えた、革命的な思考であると主張するような学説は基本的に面白い。

 ところでこの量子哲学と自説の自律統合性主義AIFを照合すると、AIFは「すべての個体(電子から宇宙に至る。)の意思の統合された総体」であるとすれば、旨く説明できそうである。AIFは全体の統合性を持つから、」個々の個体のバランスを全体性の中で保つことが出来ることになる。そうすればAIFは、神に相当する絶対的な存在を使わなくともよくなる。私は、AIFとの整合性を念頭に、もう少し深く山田理論を読んで自分の立場を明らかにすることが、自分なりの思想を形成する上で重要な気がしている。

 山田理論が楽観的で、余りに突拍子もないと思うのは、我々が300年以上もニュートン力学のもたらした文化的背景で生きてきたせいかもしれないし、我々の意識がそこからの脱出を意思するとき、今までとは違う新しい認識が出来るのかもしれない。
 同時に他の新しい理論の出現が待たれるところでもある。