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心脳問題と量子論-その3

唯物論で心脳問題がなかなか解けないのは心が数値化、定量化、客観化できず自然科学のやり方がうまく通用しないためである。
心脳問題を解くには、全く新しい技術や方法論を使った科学が生まれなければならないだろうが、今可能性のひとつとして「暗黙知と創発の概念」が言われている。
創発とは「カオス理論」や「複雑系」といった学問領域で使われる概念で「たくさんの『部分』が相好相互作用することで、『全体』としての新しい作用が生まれる現象』のことで、全体の性質は部分の性質だけでは決まらないとも言うことができます。(これがこのブログの形を決めた理由でもあります。)脳を構成する一つ一つの神経細胞の振る舞いの知識を組み合わせるだけでは心は説明できないが、単純な振る舞い(部分)が複雑に組織化され、心(全体)が創発されると考えるわけである。暗黙知とは、知識を得るときに身体の中におきるプロセスや活動、メカニズムのことで、「部分に注目したら、いつの間にか全体が見えてしまう。」というような構造と説明し、「部分から全体へ」創発が起きる時に働く力のことをいう。
この概念を用いてBungeは創発的一元論を提唱している。
これはBungeが意識・心を脳の特殊なプロセスとして考え展開した理論であり、心・意識は一個のニューロンに還元できず、システムとしてのニューロン群が活動しプロセスを進行することによって心・意識が形成される、とするものである。
そこでは異なる脳の部位で分散的に処理された情報がどのように統合されるかという問題が生じ、それは「結合問題」あるいは「統合問題」と呼ばれ、脳科学の重要課題になっている。
現代の脳科学者は、多くはこの創発的一元論の立場に立って研究している。ある心の動きが一個のニューロン、や単一の脳部位で実現される、還元されるとは殆ど誰も考えていない。むしろある心の働きは、多数のニューロン群や脳部位が形成する「階層的並列システム」の働きによって形成されると考えている。
一時期はやった「おばあさんニューロン」などと言う、認識を単独で担うニューロンの存在は今は信じられてはいず、創発的一元論が主要な立場になっている。

ところで、脳科学者が自らの研究を‘意識や自我’という心理精神医学的な表現に立ち入ることは殆どなかったが、最近は、脳科学の進歩から、哲学、精神医学、心理学の出口の見得ない方向性を正す意味からも、脳科学者の発言が始まったようである。
Damasioは『デカルトの間違い』でデカルト流の二元論を正面から批判し、DNA二重らせん構造でWatsonとともにノーベル賞を受賞したCrickは、その後脳科学に転じてから、意識のサーチライト仮説など多くの独創的仮説を述べ,著書「驚異の仮説」の中で「意識とは多数のニューロンの集まりと、それに関する分子の働き以上の何ものでもない」と表明している。しかし、それは今や脳科学者の間では驚異でもなんでもなく、最大公約数的なセントラルドグマとなっている。
現代の脳科学者の心脳問題におけるコンセンサスは、「意識も自我も他の心の働きもプロセスであり、脳の働きもまたプロセスである」とし、脳内プロセスはニューロンやその集団(セルアセンブリ)のダイナミクス(相互作用やそれによる動的変化)をベースにした様々なプロセスである、と言うところにあるようだ。例えば、ニューロンのポピュレーションコーディングとその動的変化、多数のニューロン間での同期的活動(オシレーション)や相互相関とその時空間的な変化,機能コラム内での局所情報処理とコラム間の水平結合を媒介としたダイナミックな相互作用、並列処理と階層処理の複雑な入れ子構造プロエス、等等の複雑なプロセスが織りなすダイナミックなシステムが脳なのである、とする。
さらに、脳の本質的理解には、ハードウエアとしての神経生理解剖学的な理解に加えて、(目的、理由を問う)計算論的なアプローチが必至であるとも言われている。

とは言うものの、それは、第三者的に見れば、脳科学は、意識にしろ自我にしろ、その脳内プロセス、メカニズム解明の、ゴールの見えないスタート地点に立ったばかりの決意表明に過ぎないようにも見える。

所で、精神医学、心理学は、意識・心における精神分析、病理理論において、心脳問題を語る哲学の様に、各人が結論の出ない解釈を繰り返しているだけで、いつまで自己満足し続けるのであろうか。

脳科学は、一応曲がりなりにもゴールを目指しスタート地点に立っている。
精神医学の臨床からも何らかの形で脳科学に直接リンクする必要があるのではないか。
現在の物理体系を含みながら意識を解明する、ミクロからマクロを網羅する壮大な理論の、その中のいくつかのシステムがどのように意識の経験に結びつくかを、意識の様相と物理の様相の二つの側面から考える「精神物理学」を育てる機運が、精神医学の若手研究者に全く見えないのは、私のような精神医学の傍流から見ると不思議であり、奇妙にさえ思えるのである。