クリニークデュボワの美容整心メンタル科は身体醜形障害、美容整形セカンドオピニオンなど外見・美容の悩みや生きる悩みなどにお応えする心療内科です。

クリニークデュボワの心療内科・美容精神科・形成外科
美容整心メンタルこころの研究室

ストーカーに依存症という病名がつく日?医療化社会の危うさ

精神科に入門したばかりで、何も分かっていないのにと言われればそれまでですが、ずぶずぶに入っていないからこそ見えるものもあると思います。それに私は医療の素人ではありません。40年のキャリアの元形成外科医が精神科医療の危うさをヤブ睨みしてみます。

近頃よくニュースになるストーカーを例に考えてみよう。
この間も、若い女性に横恋慕した中年男が一日に何百回と電話だか、
メールをして、被害者から相談を受けて、それを注意した男を殺すと言う様な事件があった。

ストーカー行為をいけないと思っても止められなかったという。〇〇をせずにはいられない、という精神症状による病気を精神医学では依存症あるいは強迫性障害というようだ。アルコールを飲まずにはいられない病気としてアルコール依存症があり、意味がないと分かっていても手洗いを何十回としなければおさまらないとか、鍵を掛けたか何度も確認するという様な行為を強迫行為と言い、そのような症状の病気を強迫性障害と言います。

自分が制御できず(抑制喪失)、それが原因で社会性機能を失うと病気に昇格します。

ストーカーも、止めようと思いながらも何度も追いかけてしまう、電話をしてしまう、と同じ構造である。

精神科医療は、社会の人々の生活の細部を医療の管理下に置くこと、
つまり医療化medicalizationすることで市場を広めてきた。医療化とは、
かっては宗教や司法や教育、あるいは家族や共同体の手に委ねられていた
現象が、医療の管轄になって行くことである。これは医療側が主体的、
意図的、にしてきたと言うより、社会や行政の要請があって、それに応えてという形で、悪く言えば便乗して行われてきた。アルコール依存症の他にはギャンブル依存症、セックス依存症なんてものもある。

また、新型うつ病や適応障害も社会的な問題になって来ている。
仕事となると、頭痛、腹痛、吐き気、発熱など自律神経症状が出たり、
気分が落ち込み鬱病状態になるが、それ以外は普通であり、自分の趣味精力的に出来、カラオケに興じたり、飲み会やデートは楽しめると言う厄介なものである。かつては逃避型抑うつとして症例報告されるほど希なものであったが、今や蔓延化され、うつ病の主流になりそうな勢いである。

確かにこれらの現象を精神的な異常に原因を求めるのは正しいのかもしれないが、これらが病気として扱われるようになったことで、つまり医療化されることで、果たしてこの様な人(患者)の社会復帰率は向上したであろうか。

医療化は、現在の精神医学、精神科医療に問題解決能力があってこその話ではないだろうか。病気と認定される事で疾病利得が生じ、返って社会復帰の妨げになっているようなことは無いだろうか。病気となれば会社も簡単には解雇も出来ないでしょうし、福祉も生活保護の対象から外すわけにもいかないだろう。そうなれば、下手に働いてワーキングプアになるより、病気にとどまった方がましと考える人が出てきても不思議ではないし、現実に私の患者にもいる。

元来精神疾患というものは、生物科学的には病気と断定しにくいものである。医学が科学的であるとする条件を歴史的に見れば、
?どんな疾病も一定の法則の上に成り立っているべき、
?疾病は細胞レベルで一様に解明されているべき、
?疾病はすべての進化の途上における退化と捉えられるべき、
とするならば精神疾患はそれらの原則からは大きく外れるものである。

それゆえ、精神医学の場合は、正常と異常の境目、健康と病気の境目が曖昧になり、病気の概念に普遍性が無いから,取りようでいくらでも対象を広げることが出来る。

事実、米国の統合失調症と英国の統合失調症では随分病像が違っていたという研究報告もあるし、私のわずかな経験でも、精神科医のものの見方によって描く病像の範囲は随分と異なっている。ビンスワンガーは『100人の統合失調症がいれば100様の統合失調症がある』と言ったが,言い方を変えれば、『100人の精神科医がいれば100様の統合失調症がある。』ともいえる程である。

わが国でも1987年以降ノーマライゼイションの名の下、精神科医療は
大きく改革され、分裂病も統合失調症と病名も変わり、隔離型医療から、開放型医療になり、その結果、周辺疾患を含め精神疾患に対する社会のハードルは下がり、患者数は大幅に顕在化した。

アダルトチルドレンもどんどん拡大解釈されていくし、共依存に至っては、アメリカでさえ90%を超える人々が該当すると言われ、どちらが正常なのか分からなくなっている。

人格も偏りが過ぎればパーソナリティ障害という病名がつく。

また、最近ではさらに新しい医療化の動きもある。ソーシャルゲーム依存症、インターネット依存症などという病名ができようとしている。パソコン、
ゲームから離れることが出来ないから登校も出社も出来ないと言う病気である。その専門外来がアルコール依存症で有名な久里浜医療センターに最近出来て話題になっている。

『いじめ』もいじめる者が、やめられないからと言って依存症とされたり、
あるいはいじめる者といじめられる者が共依存という関係で医療化される
可能性もあるし、先に述べたようにストーカーも依存症となる可能性は
十分にあるだろう。追跡依存症とでも名前がつくのだろうか。

精神医療は、これまでの様に医療化に対して、ただ受け身で構えていていいのだろうか。

それで医療の一分野としての責任義務が果たせるのか疑問である。
結局は、医療・福祉という社会資源を枯渇させる一因になってしまうのではないか気がかりである。

一般国民にとっても、これらの問題は将来の更なる消費税の値上げと
無関係ではないことをよく知っておくべきと思うのだが、如何であろうか。